三人展 ポーランド国ポズナニ市にて 2017年11月

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作品展においでの皆さまへ:

書道について・文字について

この作品展においでくださる皆さまが、約二千年前に中国から日本人が取り入れた漢字や、それから日本人が独自に生み出した文字についてどれほどご存知なのか、分かりかねるところでありますが、まず漢字について特にお伝えしたいのは、一つ一つの漢字には「音」だけでなくて、「意味」を有しているということです。

ですから、そこから広がるイメージなどもありますので、東洋の漢字を使う人々は、自分の子どもを名付けるときなどにも、自分の子どもの将来の幸せや繁栄を願い、この「意味」というものにあれこれと思いを巡らせたりします。

そしてここで、太古の人々はどのようにこの漢字を生み出し、また文字というものに対してどのような感慨を持っていたのだろうか・・・ということが幼い頃から書道を学んできた私の頭に浮かびます。

一般的な説としてよく指摘されるのは、文字や(音声による)言葉は、元来祈りの道具または礎であった、ということです。恐らく太古の人々は、現代を生きる我々よりも自然や霊性に対してはるかに鋭く、強く、豊かな感受性を持っていたことと思われます。

従って、言葉や文字が自分たちに喜びをもたらすと考えたり、また大事な人たちを言葉や文字の持つ呪詛から護ろうとしたり、あるいは反対に敵対する者たちを呪うためにさえ用いたりしたようです。

よく知られた例としては、悪いことが起こらないように悪い言葉を使わないように気をつけるとか、目の前にいる話し相手を言葉の呪いから護るためにその人物のことを「彼方の地」を意味する「あなた」と呼ぶことなどが挙げられます。

「書道が趣味です!」と言うと、ときとして「どうして絵画でないの? 字なんか書いてもつまらないのに。綺麗なお花や風景や女の人を描いた方がいいのでは?」という反応が返ってくることがあります。

そしてこうした問いに対する回答こそがまさに上に書きましたような太古の人々の文字や言葉に対する畏敬の念や、それでもなお、それらに対して憧れや愛情にも似た感情を持っていたことから延々と連なる文化こそが書道という芸術に昇華しているのだということになると考えます。

ご来場の皆さまには、是非とも「見慣れない字のようなものがたくさん書いてあるなあ」というだけでなくて、その「字を書く」という行為を人々が尊く、神聖なものであると感じていることに思いを馳せてご鑑賞くださることを切にお願いしたく存じます。

2017年10月京都にて

南知子

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